都市の時代の都市計画技術と高校教育について思うこと
以下は、「金光学園ほつま同窓会報」第18号(平成4年7月10日)に掲載された文章である。高校生とその父兄を意識して書いたものだが、教育関係者および中学生以上の生徒とその父兄にも伝えたいと思う。
校友だより
都市の時代の都市計画技術と高校教育について思うこと
河上 省吾(高九回)
都市問題解決のむつかしさ
現在わが国では、都市地域に居住する人口の割合が約九割に達し、二十世紀後半は都市の時代と言ってもよいであろう。
したがって、私達の活動は都市内で行われる部分が多く、都市をどのように計画・整備し、豊かな居住環境を実現するかは大方の国民の関心事である。
しかるに、東京を始めとする大都市では、鉄道や道路交通の慢性的混雑や居住及び労働空間の狭隘化などの過密問題が発生し、さらに騒音・大気汚染や交通事故などの環境悪化、ひいては地球環境問題などが起きている。平成三年からの十年間に四百三十兆円の公共投資によって社会資本整備を行うという国家計画が立てられ、その大部分が都市問題の解決に使用されることになっているが、完全な解決は不可能であろう。
その理由は、都市計画技術及びその実施体制が、人々の生活の仕方や都市の現状、空間の制約などの下で、都市への流入者増に対応して適切な土地利用や施設計画を策定し、実施する方策を持たなければならないのに、これらに対する早急な実効のある解決策が見つからないのである。
都市問題は、人間社会そのものの問題であり、多様な人々が集中して居住し、各種の社会・経済活動や家庭生活を行うための場所である都市において、各種施設を多様な価値観を持つ人々がすべて満足できるように造り続けなければならない過程で、人々の需要と供給の不調和現象及び各種活動に伴う環境影響が発生したのが、都市問題であると考えられる。
したがって、都市問題を解決するためには、人間・社会の行動原理に基づいた都市計画技術を開発し、それを適切に都市開発及び保全に適用する必要があるが、前述のように現在の都市計画技術とその実施体制には限界がある。すなわち、人体のガンのように都市問題の一部に解決策の見つからないものが残されている。以下で私が専門としている都市計画技術での社会との係わり方及び高校教育に関する私見を述べてみよう。
都市計画技術による社会との係わり
交通施設、上下水道やゴミ焼却場などの供給及び処理施設、公園、河川、教育文化施設、医療及び社会福祉施設、住宅・官公庁及び流通業務団地、各種防災施設などを都市施設と総称している。都市計画技術は、都市の空間構成や都市施設の配置と規模及びそれらの開発・保全に関する計画策定と計画の決定法及びその実施体制のあり方などで構成されている。
私はこの都市計画技術の中の交通計画を専門としており、コンピューターを利用した交通需要予測理論や交通計画策定システムの開発に従事している。職業としては名古屋大学工学部土木工学科でこれらの研究と教育に携わっている。なお、専門とする地域・都市計画・交通計画などに関して、それらの計画策定機関である、国・県・市などの審議会や委員会に参加することも多く、名古屋都市圏の地下鉄網や道路網の計画、伊勢湾内に建設予定の中部国際空港(セントレア)の計画、第二東名・名神高速道路の計画などの策定やそのアセスメントに関係している。(セントレア、第二東名・名神高速道路の一部は完成し、供用されている)
高校で何を学ぶべきか
私は、昭和三十二年に金光学園を卒業し、京都大学土木工学科の学部・大学院を卒業し、昭和四十一年より名古屋大学に勤務しているが、その間、昭和五十三年には西ドイツ政府のフンボルト財団の奨学研究員として約一年間、ダルムシュタット工科大に滞在した。
このような現在の自分の基礎を作って下さった金光学園での中学・高校時代の教育に対しては心から感謝しているが、特に、中学三年時に数学に対して興味を持たせていただいた現校長加賀先生には、現在の仕事のすべての部分で数学的思考が重要な要素を占めていることを考えると、何と御礼を申してよいか分からないほどである。(加賀先生は現在退職されている)
先日、ある予備校から「大学で都市計画を専攻する場合、高校時代にどの科目を重点的に勉強すべきか」というアンケート調査の依頼があったが、このような考え方が一般になされているのであれば極めて遺憾なことと思う。現在、大学へ進学する学生にとっては、文化系・理科系を問わず、高校で学ぶ学科はすべて重要と考える。特に、工学部へ進学したい学生には、大学で工学の理論の理解のために、数学・理科は必須であり、また文献・資料を読んだり、報告書や論文を作成するために外国語や国語の理解力や作文力が必要である。さらに、工学の目的は、人間及び社会のニーズに合致した技術を開発し、実用化することであるので、人間と社会の歴史やそのあり方などに関する理解と洞察力などが必要である。また、健全な身体を育むことはすべての活動のための必要条件であり、保健体育の必要性はいうまでもない。そして、生活の豊かさを増す芸術関係科目の意義も増大している。
かく言う私も、何となく役立つだろうと考えて勉強していたのだが、現在それをはっきり認識することができるようになった。
さらに、自分の考えや意思を他人にうまく伝えるための、表現法や発表の方法や討論の方法についても、中学・高校で教えられるべきだと思う。また、日常生活の基本的作業である料理や整理整頓の方法なども、家庭での教育がむつかしい現在、学校に期待せざるを得ないのではないだろうか。これらの点は、ドイツの教育の一端を見た経験からわが国の教育にも導入すべきだと思うようになったものである。
金光学園時代、宗教の授業で、キリスト教・仏教などの起源について学んだことは有意義であって、特に、外国人との付き合いでこのような知識の必要性を感じた。
母校金光学園での真の人間教育がますます発展し、大きな成果を挙げられることを期待する。
(筆者は名古屋大学工学部教授)
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