居住環境調査

東灘区の居住環境の調査

本文は白井佑季君の平成18年度の関西大学での卒業論文に基づいたものである。

1.東灘区の居住環境研究の背景

全体の効率を重視し大量生産された時代から,近年個人が異なった価値観を持つという現実を認めた上で,異なる価値観を持つ個人がどれほど満たされるのかという判断基準により「事業や行為」の価値を判断しようとする考え方が生まれてきた.一方,社会資本整備評価のための手法は,現在のところ費用便益分析などの貨幣価値評価が主流になっているが,この方法は個人の価値観の差異を考慮していない.判断の基準として便益の計測のために採用しているのは,消費者余剰の概念である.消費者余剰とは,利用者が社会資本整備により得る便益と実際に消費者が支払う金額の差である.すなわち消費者余剰の総量が社会的な便益に等しいという考え方から,投資効率を判断する.しかしながら,基本的な社会資本整備がほぼ終了した地域における新たな社会資本整備の評価においては,環境質や貨幣価値などの市場性が無い財・サービスに投資効率を求める方法を適用するのは問題があると思われる.1) 

一方, 戸外の住環境というものは人々の生活を支える大きな器であり, 住環境を充実することは都市政策の第一義的な目的の一つとなってきている. 従来, 住環境の充実とは, 生命の危険がなく, 衛生面での不安もなく, 生活面での不便がなくかつ快適な空間が広がっているようにすることを意味することが多かった. 1990年代までは, これらの内容を高めることが, 住環境整備の目的であったと言っても過言ではない. しかし, 近年, 地球環境問題に関する意識が向上し, 経済的な持続的発展が重要となり, 都市社会における人々がコミュニティの重要さを再認識したことによって, 単に個人が生活する場をそのまま受動的に受け止める住環境だけでなく, 個人が社会や環境をどのように変えていくのかという, 行為者としての貢献や行動内容をも合わせて考えていくことが必要となってきた.2)

以上のような社会の変化を考慮するとき、住環境に対する住民の満足度の測定が必要となる.

このような社会状況の変化や環境意識の高まりを背景に, 都市計画の評価は, 従来行われてきた事業者サイドの収支構造分析や貨幣価値による費用便益分析だけでは不十分であり, 各種施設の利用者や納税者の価値観や満足度といった主観的な要素も含めて評価していかなければならない. そこでここでは, 神戸市東灘区の住民の住環境に対する満足度を調査することにより, 現状の東灘区の住環境を把握し, そこから現在まで行われてきた東灘区の都市計画を評価し, これからの東灘区の都市計画のあり方, 目標を示すことを考える。

 

2 従来の事業評価方法と住環境評価について

 貨幣価値評価と非貨幣価値評価1)

事業評価方法を分類すると,貨幣価値を持つ評価方法と貨幣価値を持たない評価方法に分類される.さらに貨幣価値評価は一般的な費用便益分析と,非市場財を対象にした費用効果分析,シャドウプロジェクト法,代理的市場評価法,仮想的市場評価法,コンジョイント法などに分類される.これらは非貨幣価値財を様々な方法で最終的には貨幣価値換算することにより,従来の費用便益分析法を適用する考え方である.

非貨幣価値評価は分析方法の違いにより多目的決定モデルと多基準分析に分かれる.多目的関数の評価法の一つには, QOL(クオリティ・オブ・ライフ)に基づく評価法というものがある. QOLを構成する要素は価値観と充足度であり, 相互に影響し合い変化していく. その評価方法は, まずQOLを構成する指標毎に個人の充足度及び指標間の重要性を調査し, 指標毎の充足度を充足度関数, 重要性を重みとしてとりまとめ, 地域や属性毎のQOLを1つのQOL関数に集約する. そして, QOL関数に指標値を代入し, 現在の充足度および代替案整備後の充足度を評価するというものである. この評価方法は便益の最終帰着先である市民のQOLの変化に着目することにより, 市場財と非市場財を併せ持つ形の整備効果を評価するものである. また, 同じ社会資本が整備される場合でも,既存の整備レベルや市民の価値観によって整備効果は異なったものとなる点を評価することができる. 多基準分析とは, プロジェクトに発生する複数の効果を, それぞれの効果自体の尺度で基準化し, それらを何らかの方法で統合し評価する手法である.

現在,社会資本を対象とする事業評価は貨幣価値評価法における費用便益分析法が中心となっている.費用便益分析法において事業が大規模な場合には,一般的に費用便益分析法における直接的な需要予測に加え,間接的な経済・社会的な波及効果が考慮される.経済波及効果の計測方法としては応用一般均衡分析(CGE)が用いられる.社会的波及効果の計測には非市場財を対象とする場合が多く直接的に効果を計測出来ないため,1)シャドウプロジェクト法,2)代理市場評価法(Hedonic Approach),3)仮想的市場評価法(CVM)やコンジョイント法などが用いられる.

 本研究で用いる住環境評価法

 本研究では, 住環境に対する住民個人の満足度および指標間の重要性を指標毎に調査し, 指標毎の満足度を満足度関数, 重要性を重みとしてとりまとめ, 1つの評価関数に集約し, 住民の視点・価値観により, 住環境の現状を評価する. 

 本研究で使用する住環境満足度調査の目的は, 住民が現在得ている財・サービスを住民の視点で評価することにある. 現状をアンケートと統計的資料により十分調査した上で, 結果を住民にとってわかりやすい指標により提示するため, 3者に対する説明性が高い. またこの評価法は, 住民の生活がこれからの社会資本整備によりどのように変化するのか, あるいは住民の総合満足度を上昇させるには, どのような整備が必要なのかをわかりやすい指標と満足度で示すことにより, 理解しやすい指標となることを目標としている.

3. 住環境評価について

 住環境の理念2)

住環境と一口にいっても, その内容は広く, 生命を維持し, 危険を回避するために必要なもの(安全性), 健康を維持するために必要なもの(保健性), 普段の生活において特段の不便がないようにするために必要なもの(利便性), 生活に豊かさや潤いをもたらすもの(快適性), さらに, 自分以外の特に次世代以降の生活環境をも維持するために必要なもの(持続可能性)などが含まれる. これらには, 生活にとっての必須の要素から, なくても必ずしも大きな支障はないものまで様々である. ただ, とくに安全性や保健性に関わる項目において住環境上の問題があれば, それは生命や健康を脅かす危険があるということになり, その整備はきわめて重要である.

 1960年代に入り, 住環境を「健康」を軸に, 体系的に捉えようとする動きが生まれた. 1961年にWHOによって, 人間的基本生活欲求を満たす条件が示され, 今日の住環境の基本的な理念「安全性」「保健性」「利便性」「快適性」が提案された.

 1970年代後半から1980年代, 我が国では公害問題の激化, 日照権問題に代表されるような人々の意識の高まりなどから, 既成市街地における住環境に向けた取り組みがようやく本格化した. また, 1980年に「地区計画」が新しい制度として都市計画法の一部に加わり, 身近な住環境を整備していくことも, 都市計画の対象となった. このような21世紀に向けた社会の大きな変化の中で, 住環境の概念について新たな視点から再検討していくことが求められてきている. WHOが提唱した住環境の4つの条件「安全性」「保健性」「利便性」「快適性」は, 人間の生活行為を基本とし, 個人(もしくは集団)の観点から, 生存に必要なものという意味において, 健康的な住生活の考え方を示したものであり, 1990年代までは, これらの内容を高めることが住環境整備の目的であった. しかし, 近年では前述のように, 地球環境問題への意識向上, 都市社会における人々のコミュニティの重要さの再認識, 経済的な持続的発展の重要性の増大などにより, 個人が生活する場を受動的に受け止める住環境だけでなく, 個人が社会や環境に及ぼす影響によって場がどのように変化していくのかという, 行為者としての住環境面への影響も合わせて考えた住環境の概念が必要となっている. このようなことから, 個々が全体にどのように寄与していくかという観点から「持続可能性」という新たな概念を築いていくことが必要となっている. 具体的には, 地球環境を持続可能なものにしていくという意味での環境持続可能性, 人々のつながりや地域の文化の継承といった社会持続可能性, 地域発展に寄与し, 地域の経済的崩壊を防ぐという意味での経済持続可能性という新たな諸軸も入れて新しい住環境像を構築していく必要性が高まっている. そこで, 本研究では旧来の4理念に持続可能性を加えて, その住環境評価指標について述べる.

 住環境評価指標の利用目的と選択2)

 指標利用の目的としては, 今後の住環境を整備していく上で特定の性質を表現し, 今後の計画の目標を与えるというものがある. 典型的には, マスタープランにおいて地域の個性を伸ばし, または, 地域の課題を解決するために目標とする地域の状態を表す指標を用いて満足度の現状値や目標値を定めるという使い方がある.

 住環境満足度を測定するにあたって, 指標の役割とはそれぞれの分野の代表としてその都市における将来像を見据えたものでなければならない. 指標の数も厳密性を重視するあまり, 多くの指標を採用するのは適当ではなく, 各分野の代表性の高い指標, 感度の良い

指標に絞り込む必要がある.

 アンケートの評価項目

.1 本研究で使用した評価分野と指標

住環境評価分野

住環境の目的

住環境評価指標

安全性

交通安全性

交通事故発生件数

火災安全性

火災発生件数

災害全般安全性

広域避難場所数

保健性

公害防止

公害苦情件数

医療

医療従事者数

利便性

各種施設利用

学区内の小学校までの距離

最寄りの購買施設までの距離

交通利便

最寄りの駅までの距離

快適性

自然環境享受

緑地面積

水辺面積

持続可能性

経済持続可能性

一人あたりの市民所得

環境持続可能性

資源化率

温室効果ガス排出量

社会持続可能性

家庭内三世代交流

地域三世代交流

町内会活動

子供会活動

地域のサークル活動

以上のように5つの分野と18の指標を選択した. 選択した理由として, 最新のデータが自治体などから公開されている項目であること, 満足度が回答しやすいということである. また, 保健性において定量的な把握が可能な指標が少なかったため, 医療に関する指標として「医療従事者数」という指標を設けた. また, 社会持続可能性において, 既存のデータから満足度を回答してもらうことが困難であったため, 地域交流の現状に対する満足度を, .1に示した6つの指標で回答していただくことにした.

4. 神戸市東灘区の住環境評価調査

 住環境評価調査地域・神戸市東灘区について

 ここでは住環境評価に関して, 対象地域である神戸市東灘区でのアンケート調査について述べる.

 神戸市東灘区は,1995年の 阪神・淡路大震災では多大な被害を被り, 19万人いた人口が155千人にまで落ち込んだが, マンションの新築などが相次ぎ,2003年には区の人口は20万人を超え震災以前を上回り, 現在も増加傾向である. この間, 震災から復興を進める中で, 転入者や出生数が多く, 新たに区民になった人の割合は4割近くにもなり, 東灘区をめぐる情勢はめまぐるしく変化しており, まちの将来の方向性が問われている.

また, 神戸市東灘区は, 六甲山と海に囲まれた特徴的な地形であるため, 南北の市街化よりも東西の市街化が進んでいる. 東灘区の北部は, 山麓部に緑豊かな閑静な住宅地が広がっており, 鉄道が走る平野部との直線距離が約2.5kmにも関わらず, 標高差が300m近くもある. 中部地区である平野部は, 阪急線, JR, 阪神線の3本の鉄道が走っているという公共交通機関が非常に充実した地域であり, 区の中心核として, 行政施設, 文化施設, 商業施設などの生活関連施設が集積している. 海に面した南部地域は, マンション・共同住宅が多く立ち並び, また, 臨海工業地域としての顔も持っている.

このような1つの区内において地形的にも環境的にも様々な特徴がある東灘区の各地域において, 今回の5分野18指標の住環境に対する住民の現状の満足度をアンケート調査によって測定していく.

 アンケート調査

 本研究では, 5つの分野に関する住民の満足度と, 分野相互の重みを調査するためのアンケート調査を実施した. 対象地域は, 神戸市東灘区の北部の阪急沿線地域から御影山手, 岡本, 本山北町の3地区, 中部地区のJR線と阪神線の間の地域の住吉宮町, 魚崎北町, 本山南町の3地区, 南部地区の阪神線以南の地域の魚崎南町, 青木, 深江南町の3地区の合計9地区である. 参照:神戸市東灘区ホームページ

  調査は2006年の12月に「住環境に関するアンケート」として, 9地域に無作為に配布して, ポスティングにより郵送回収した. 配布枚数1500に対する回収枚数は182で、回収率は12.1%であった.

 なお調査票には「このアンケートは, 神戸市東灘区の住民の方々の住環境の評価を, 住民の方々の視点・満足度から行い, 将来の都市計画のあり方を研究するための基礎資料とさせていただきます. 」とのコメントをいれることにより, 回答者に調査目的を公開した.

調査結果

 本研究では, 住環境評価により, 住民の視点から神戸市東灘区における都市計画の評価を行った. これにより, 住民の住環境に対する現状の満足度, 住民の視点からの評価の特徴, 神戸市東灘区の課題が明らかになった.

 満足度測定結果から, 住環境全体についての満足度は5点満点で平均値3.27であった. アンケートにおいて満足している状態を5, 不満である状態を1点として算出した結果であるので, ある程度東灘区の住民は住環境について満足していることがわかる. しかし今回, 住環境というものを, 5分野18指標に細分化して評価していくと, 各々の指標に対する満足度は低く, 住環境全体の満足度よりも高い満足度を示す指標は少数であり, 指標の満足度平均値は2.89であった. このことから, 現在, 東灘区の住民は, 満足度が高く, 重みの大きい利便性・快適性という分野を重視して住環境というものを判断する傾向にあることがわかった.

 また, 住民の住環境に対する総合評価値を上昇させるには, 住環境評価の5分野の改善希望順位から求められた重みが最も大きく, かつ満足度が最も低かった保健性という分野を優先的に改善していくべきであるということが明らかになった. 東灘区は, 神戸市内で公害苦情件数が2番目に多い. また医療の面では, 医療従事者数を大都市間で比較すると, 神戸市は人口千人当たり20.2人と大都市の中では比較的少ないこともわかっている. これらは改善の余地がまだまだあり, 満足度を上げていく必要がある項目である.

 最後に, 住環境全体満足度からの重みの推定結果と, 改善希望順位からの重みの推定結果があまりにも異なり過ぎており, そこに矛盾が生じているとも考えられる. これについては, 今後研究する際に, 調査項目や式, 調査方法などの見直しが必要である. 研究者はより正確に住民満足度を測定していく研究を深め, 神戸市は公害面の改善・医療面の充実をこれからの都市計画で重視していかなければならないと考えられる.

 残された課題

 本研究における残された課題は以下のとおりである.

1)              本研究では, 治安面に関する指標の設定がなかったが, 回答者から治安面に関する多くの意見が寄せられた. 住環境というものを考える上で, 治安面はきわめて重要な項目である. この分野は, 警察と町内会等の連携も重要であり, 地域活動や, 住民一人一人の意識の影響が大きい分野である. 受動的な住環境だけでなく, 能動的な住環境をも評価していかなければならないこれからの住環境整備においては, 治安面を考慮した指標が必要である.

2)              本来, 分析結果を今後の都市計画に有効に反映するためには, 地域的な特徴差(たとえば傾斜部、平地部、臨海部)が大きい東灘区においては, 地域差などの属性が評価値に与える影響を的確に把握することがきわめて重要になってくる. ゆえに, このような点を考慮するためのアンケート方法の見直しや分析方法の検討が必要になる.

3)              持続可能性の分野において, 地域の個性・文化性といったものを評価する方法を検討しなければならない. 本研究では, 地域の個性や文化性といったものを定量的に評価するものがなく, データを掲載することも難しく, また回答者も回答しづらいと考え, 今回項目から外している. しかし, 地域の持続可能性を考えるとき, 個性や文化の継承といったものは非常に重要であり, また地域に根付いた事業や活動は, 経済的な持続可能性や, 地域交流につながってくる. 今後, これらも視野に入れた評価を検討していく必要がある.

 

参考文献

1)杉山郁夫:クオリティ・オブ・ライフの分析に基づく社会資本整備に関する研究,名古屋大学博士論文,2003

2)浅見泰司編:住環境, 東京大学出版会, 2002-11

3)河上省吾・松井寛共著:交通工学, 森北出版株式会社, 2004-11

4)神戸市東灘区ホームページ

http://www.city.kobe.jp/cityoffice/81/

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